※ネタバレ含む
本作の主役であるロバート・オッペンハイマー(演:キリアン・マーフィー)の視点をカラー映像の「核分裂」、オッペンハイマーと袂を分かつことになった原子力委員会の長であるルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)の視点をモノクロ映像の「核融合」とそれぞれ名付けた2つのエピソードで交互に描く構成になっている。
「核分裂」は1954年の公聴会のシーン。オッペンハイマーの国家機密へのアクセス権限更新の是非を判断するための場で、共産主義の関係者との交流を持っていたことから国家反逆の疑いを掛けられ、非公開の狭い密室内で証人への聞き取りや過去に遡ってあれやこれやと追及されるオッペンハイマーの姿が描かれている。追及される話題の内容はその都度で当時のシーンとして描かれるので、学生時代、教鞭を執るようになった時代、ロスアラモス国立研究所の設立から原子爆弾の開発までの流れ、トリニティ実験、日本への投下、その後の後悔、核軍拡競争への反対、そして現在に至るまでのシーンが飛び飛びに映し出される。
一方、「核融合」は1959年の、こちらはストローズの商務長官指名についての証人公聴会で、その最中にオッペンハイマーとの過去の関わりについて質問され、当時どのようなやり取りがあったか、ストローズがどのような立ち回りをしていたかを証人への聞き取りや本人が話すシーンになっている。
オッペンハイマーの公聴会のシーンと、彼の過去の重要な出来事の数々のシーン、ストローズの公聴会のシーン、これら時系列がバラバラのシーンが上映時間3時間の間にポンポン交互に出てくるので、人によっては情報量の多さに頭が混乱するかもしれない。ただ、それぞれのシーン自体は順行しているので、例えばオッペンハイマーの公聴会のシーンの時間軸が行ったり来たりしているわけではないので、まあ大きな混乱はしないと思う。
全く事前知識なしで観ようと思っていたので、実際に観る前まではロバート・ダウニー・Jrがなぜ本作でアカデミー助演男優賞にノミネートされたのか(そして受賞もした!)いまいちよく分かっていなかった。そこまで出番が多くて重要な役割で出演しているということを実際に観るまでは知らなかったので。
映画冒頭で、ストローズは原子力委員会にオッペンハイマーを顧問として招く。
その際にアインシュタインと久しぶりに再会したオッペンハイマーは、何事かの会話をし、するとアインシュタインは不機嫌な顔をして後からやってきたストローズが声を掛けるのを無視して去っていく。
この出来事がこの映画で描かれる2つの公聴会の根幹に根差していて、実際に2人が話した内容が何だったのかについてはラストシーンまでは明かされないようになっている。
クリストファー・ノーラン監督はイギリス系アメリカ人ということもあるだろうけど、そもそも彼の映画作りのスタイルからしてアメリカ万歳みたいな分かりやすいプロパガンダ映画はまず作らないし、わりと本作もドライで淡々とオッペンハイマー側とストローズ側の視点からのシーンを描いている。
よく言われている批判点として、日本人としては広島と長崎の原爆被害の惨状が描かれていないというのがマイナスポイントだというのがある。
しかしこれはオッペンハイマーの伝記映画なので、彼が原爆開発の中心人物でありそれが日本に使用されたという事実とは切り離しようはないものの、実際に本人が見聞きしたであろうことだけを描くという方針で作られたそうなので、被害状況を聞く、現地の映像をスクリーンで観る(しかしあまりの惨状に目を背けてしまう彼の姿しか映さない)というシーンだけに留められている。
じゃあ完全に客観的に(悪く言えば他人事のように)しか描いていないのかと言えばそういうわけでもなく、オッペンハイマーが英雄のように持て囃され拍手喝采の中で演説をするシーンで、彼はふと観客たちの声が聞こえなくなり、その中の一人の女性の肌が閃光の中で剥がれ落ちていく幻覚を見る。
まあこの映像も現実の原爆の犠牲者とは程遠い、顔に塗った塗料がペリペリと剥がれていくように見える程度のもので全然目を覆いたくなるような痛ましい姿には描かれていないという批判の意見も目にしたけど、確かに絵面としてはだいぶソフトにしたなあ感はあるのだけど、一方でこのシーンのポイントはこの幻覚上の犠牲者を演じているのがノーランの実の娘であるという点には注目しておかなければならない。
これについてノーランは、「重要なのは、究極の破壊力を作り出せば、それは自分の近くの人々、大切に思っている人々をも破壊してしまうということだ。これは、わたしにとって、それを可能な限り強いやり方で表現したものだと思う」と語っている。
また、トリニティ実験の爆発映像はノーランのいつものパターンでCGではなく実写で撮られたものだけど、当然ながら本物の核爆弾を使用するわけがないので可能な限り似せた形で撮られている模様。
CGを使わずにどんな風に撮影されているのかという点で気になっていた部分だけど、実際に観てみたら思っていたほどインパクトのある映像という印象ではなかった。
そして最後には冒頭の湖のほとりでオッペンハイマーとアインシュタインが会話した内容が明らかになるが、ストローズが憶測で私怨を抱くきっかけになったような会話なんかでは全くなく、そんなものは比べ物にならないほど遥かに大きく重大な話・・・オッペンハイマーは過去にアインシュタインに相談した際に話していた、核爆発の連鎖反応を成功させたことを告げる。
それは当時話していた大気の連鎖爆発による世界の破滅・・・という科学的な理論の話ではなく、世界の核兵器による軍拡の引き金を引いてしまったという意味での比喩で、国家の威信よりも世界の平和を願うアインシュタインはオッペンハイマーのその言葉にショックを受けて去って行ってしまう。
そしてその場に立ち尽くすオッペンハイマーは、地球が多数の核兵器による爆発に飲まれていくイメージを垣間見ながら、世界の破滅への扉を開いてしまったことへの動揺の表情を浮かべて本作は終わる。
ここからは余談。
海外(主にアメリカ)では『バービー』と公開日が同じだったことで2つの作品をセットに扱って両方観ようという「バーベンハイマー運動」が起きていたけど、それ自体は映画業界の盛り上げや双方の興行収入アップにも一役買うだろうし良いことだとは思う反面、全く異なるジャンルの映画なのでパーティー感覚の浮かれ気分で一緒くたにしてしまうのもちょっとどうなんだろうという気もしていた。
日本で問題になったのは向こうの一般人の誰かが作ったクソコラ(オッペンハイマーの肩に乗って笑顔を浮かべるバービーの背景にキノコ雲が上がっている画像とか)に対して、それにアメリカのバービーの公式Xアカウントがいいね的な感じで浮かれコメントを付けた点。
一応バービー側のワーナー・ブラザーズは後になって謝罪のコメントを出したけれど、大多数のアメリカ人にしてみればこんなことで日本人は何怒ってんだ的な感じで全く理解されなかったように思う。それどころか、日本人の怒りに対して余計に煽ってくる人達がいたりもしたけど、まあそこら辺はネットだし収拾なんか付きようがない。
そんなこともあって、この『オッペンハイマー』という映画が戦争賛美、核兵器(賛成)擁護、反日の映画などと誤解してしまう日本人もそれなりにいただろうし、日本での公開がまだ決まっていない段階から余計に公開が危ぶまれるような空気感が漂っていた。
ちなみに、アメリカでの公開日は『オッペンハイマー』の方が先に決まっていて、その後に『バービー』が同日に公開することを決定したそうで、当初は『オッペンハイマー』側から『バービー』側に対して公開日を変更してくれないかという打診もしていたそう。
それに対してバービー側は、主演のマーゴット・ロビーの談では、「怖いのか? だったらお前の方が公開日を変えりゃいいだろ」みたいな感じのことを返答したそうで、なんかその記事を読んで自分は映画の内容以前に、バービー側に対して嫌な印象を抱いた。そんな挑発的な態度で返答していたわりに、結局同日公開になったらバーベンハイマー最高! みたいな感じでやっていたので。
一方のオッペンハイマー側はバーベンハイマー運動にノリノリな言動やマーケティングはせずに静観していたように思う。それはこの映画を観れば、決して戦争や核兵器に賛成や正当化したりするような内容などではないし、パーティー気分で盛り上がって浮かれ気分で観るような内容ではないことからも伺えると思う。